第1658回 フランスからワールドカップの審判が選ばれず

 3年前の3月11日の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。また、復興活動に従事されている皆様に敬意を表し、東北地方だけではなくすべての日本の皆様に激励の意を表します。

■43か国から91人の審判が選出

 今回で20回目を迎えるワールドカップ、開幕まであと4か月となり、関心も高まってきた。しかし、フランスではこの盛り上がりに水を差すような事件が起きた。それは今回のワールドカップにフランス人の審判が選ばれなかったことである。
 国際サッカー連盟(FIFA)は1月15日に今回のワールドカップに出場する審判団を発表した。日本からは西村雄一主審、相楽亨副審、名木利幸副審の3人が選ばれていることから、関心も高いであろう。FIFAが発表した審判団は3人1組のトリオ25組と補欠に当たる2人1組のデュオ8組からなるもので、出場国よりも多い43か国から91人が選ばれている。

■フランスから40年ぶりに審判が選ばれず

 しかし、この91人のリストの中にフランスからの審判がいない。25組のトリオには25人の主審が含まれているが、この大陸別の内訳をみると欧州9人、南米5人、アジア4人、北中米・カリブ海3人、アフリカ3人、オセアニア1人である。欧州から9人の主審が選ばれているが、その中にフランスから選ばれておらず、補欠に当たるデュオにもフランスから選出されなかった。
 フランスから審判がワールドカップに出場しないのは1974年以来40年ぶりのことである。これまでにフランス人の審判員が出場しなかった大会は1934年のイタリア大会、1950年のブラジル大会、そして1974年の西ドイツ大会だけである。

■輝かしいフランス人審判の系譜

 フランスはワールドカップの生みの国としてこれまでに多くの審判をワールドカップに送り込んできた。フランス人が決勝の主審を務めたのはこれまでに2回、1938年のフランス大会のイタリア-ハンガリー戦で笛を吹いたジョルジュ・カプデュビル氏と1958年のスウェーデン大会のブラジル-スウェーデン戦をさばいたモーリス・ギグー氏の2人がいる。これまで19回のワールドカップのうち、決勝リーグを行った1950年大会以外の18大会で決勝戦が行われたが、2回以上主審を務めた国はサッカーの母国イングランドが3回(1954年、1974年、2010年)、2回あるのはフランス以外にブラジル(1982年、1986年)とイタリア(1978年、2002年)だけである。
 また、これまでにフランスは名審判を輩出してきた。2002年に韓国と日本で行われたワールドカップにはジル・ベイシエール氏が主審として3試合の笛を吹く。その中には大阪での日本-チュニジア戦もあったことから日本のファンの方も記憶されていることであろう。またワールドカップだけではなくチャンピオンズリーグでも主審を40試合勤めていることからテレビでその姿を見たファンの方も多いであろう。
 フランスだけではなく世界のサッカーの主審の伝説となっているのがジョエル・キニウー氏である。ワールドカップには1986年大会、1990年大会、1994年大会と3大会に出場し、通算で8試合の主審を務めている。2002年のワールドカップの後の本連載第85回でキニウー氏の主審8試合は「おそらく今後破られることのない金字塔的な数字」と紹介したが、その通りであり、いまだにこの数字は破られていない。またキニウー氏と同時代に活躍したのがミッシェル・ボートロ氏である。1988年と1989年に2年連続して世界最優秀審判に輝いている。世界最優秀審判に2度選出されたのはフランス人ではボートロ氏だけである。

■期待のステファン・ラノイ氏は落選、タヒチからノルベール・アウアタ氏

 このような華々しい伝統のフランス人審判であるが、今回の大会では一番手としてステファン・ラノイ氏が期待された。ラノイ氏は2010年大会にも出場しており3試合の笛を吹いている。しかし、今回選出されず、現在44歳のラノイ氏は今回の落選で国際舞台から引退することになると思われる。今後は若手のルディ・ブケ(37歳)やクレモン・テュプラン(31歳)に期待したいところである。
 最後になるが、実はフランス人審判が1人選出されている。それはタヒチのノルベール・アウアタ氏である。タヒチ出身の34歳のアウアタ氏はデュオのメンバーとして選出され、タヒチから最初のワールドカップ審判員となるのである。(この項、終わり)

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