第2370回 ヒーローたちの帰還(2) シャンゼリゼ通りの優勝パレードからバカンスへ

 1998年の「フランス・サッカー実存主義」で連載を始めて、早いもので20年たちました。第2368回が通算して2500回目の連載となりました。記念すべき節目の連載でフランスのワールドカップ優勝をお伝えできたことをうれしく思います。引き続きよろしくご愛読のほどお願いいたします。

■キックオフから異常な興奮に包まれたフランス各地

 本連載第2366回で紹介したとおり、今回の決勝はフランス時間で17時と太陽の高いうちにキックオフされた。パリをはじめとする主要都市の目抜き通りや都市を代表する広場には午後の早い時間から群衆が集まり、異様な雰囲気となった。その中で最も多くの人が集まったのはパリのシャンゼリゼ通りである。
 試合は90分で決着がつき、19時前にフランスの優勝が決まる。振り返ってみれば、このところのワールドカップの決勝は延長戦に突入するケースが多く、90分で優勝が決まったのは2002年のブラジル-ドイツ戦以来、16年ぶりのことである。試合終了とともに通りは封鎖され、20年前の7月12日同様あふれんばかりのファンが集まり、フランス国内のありとあらゆる都市の広場や主要な通りは長い夜を迎えることになったのである。

■20年前の歓喜の場所、スタッド・ド・フランスも青一色に

 また20年前に歓喜の場となったスタッド・ド・フランスではこの日、米国人ラッパーのジェイ・Zとビヨンセがコンサートを行っていたが、コンサートどころではなく、ファンはテレビの中継に一喜一憂、青一色に染まったスタッド・ド・フランスでジェイ・Zとビヨンセはファンとともに優勝を祝福したのである。

■試合翌日の夕方に行われたシャンゼリゼ通りでの優勝パレード、エリゼ宮訪問

 そして、肝心の選手とスタッフであるが、表彰式、記者会見を終えた後、モスクワ郊外のホテルに戻り、その翌日、パリに戻ってきたのである。15時にシャルル・ド・ゴール空港に到着し、まず目指したのは凱旋門のあるエトワール広場である。ここから優勝を記念して作成された特製のバスに乗車し、シャンゼリゼ通りを下り、歓喜の優勝パレードとなる。10万人を超える大観衆の歓声の中、オープンカーの車上から2回の優勝を表す2つの星が描かれた優勝記念のTシャツを着て、世界チャンピオンと書かれたマフラーを頭に巻いた選手、スタッフは手を振り、ファンの声援に応えたのである。
 そして大統領の待つエリゼ宮に向かう。エリゼ宮では紺のスーツに身を包み、エマニュエル・マクロン大統領を囲み、再びワールドカップを掲げたのである。
 世界チャンピオンたちはその晩はコンコルド広場に面したホテル・ド・クリヨンに宿泊したのである。
 この歓喜の中で少なからず死傷者が出たことも紹介しておこう。フランスが優勝した7月15日の夜だけでフランス全土で2人が死亡し、292人が負傷している。また、各地でのトラブルを収めるために出動した警官と軍人の45人も合わせて負傷している。

■国内外でバカンスを楽しむ世界チャンピオン

 さて、5月の中旬からほぼ2か月間の間、活動してきたフランス代表チームであるが、選手は新シーズンが始まるまでのバカンスを国内外で楽しんでいる。
 やはり太陽のあふれる土地が人気で、南仏で過ごしているのが続投の決まったディディエ・デシャン監督である。サントロぺで友人家族と過ごし、モナコではエキシビションとしてオリビエ・ジルーとビーチサッカーに興じている。コルシカ島で過ごしているのはフローリアン・トーバンである。今回のメンバーで唯一フランス国外で生まれたのがルカ・エルナンデスであるが、生まれ故郷であり、現在の所属しているクラブのあるマドリッドで出産間近の恋人と過ごしている。
 今大会で世界の注目を集めたキリアン・ムバッペはスペインのイビザでバカンスを過ごしている。さらに欧州を離れ、米国のロスアンジェルスに旅行したのがポール・ポグバ、スティーブン・エンゾンジ、アディル・ラミ、サミュエル・ウムティティである。同じ米国のマイアミにはバンジャマン・マンディとウスマン・ダンベレがブラジル人のロナウジーニョとともに旅している。中東のドバイも人気であり、ジブリル・シディベ、ナビル・フェキルが訪問した。そして、故郷への感謝も忘れていない。ノール県出身のラファエル・バランがプロになったのは地元のRCランスである。バランはRCランスを訪問し、多くの少年少女に囲まれている。
 20年ぶりの世界チャンピオンとなったヒーローたちは束の間のバカンスを楽しんでいるのである。(この項、終わり)

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