第13回 日本代表の三都物語(その1)トゥールーズ

 1998年6月14日、いよいよ日本サッカー界の歴史に残る試合がトゥールーズでキックオフされる。昨年12月に組み合わせ抽選が決定した際に「パリ(サンドニも含む)では日本の試合はないのか」とがっかりされた方も少なくはないだろう。しかし、トゥールーズは日本代表がその歴史的な試合を行うにふさわしい都市である。

■フランスのチームで初めて来日したのはトゥールーズFCだった

 過去の日本とフランスのサッカーの交流を紐解いてみよう。
 日本は古くから西ドイツやイングランドを模範とし、両国からはたびたびクラブチームが来日し、日本代表チームも合宿を行ったことがある。また、外交上の理由から東欧のチームもしばしば来日している。
 一方、日本とフランスとは不思議と縁が薄く、フランスの代表チームは1994年のキリンカップで来日したものの、日本代表は遠征をしたことがない。アジア代表の他の3か国は2月から3月にかけて下見を兼ねてフランス合宿をしている。
 クラブ単位では、日本リーグ時代は読売クラブやマツダが遠征したことはあるが、Jリーグのチームはアルセーヌ・ベンゲル時代の名古屋が遠征しただけである。フランスのクラブチームが来日したのは1984年のキリンカップに参加したトゥールーズFCが最初である。その翌年、ゼロックススーパーサッカーでボルドーが来日している。それ以後はフランスからはフルメンバーのプロチームは来日していない。1995年のペプシカップに出場したパリサンジェルマンはアマ選手が主力であり、ほとんどのプロ選手はスペイン合宿中であった。

■「紫色の古豪」トゥールーズの歴史

 紫のジャージーのトゥールーズFCは1937年創立の古豪クラブながら、クラブがプロ活動を断念する中断時期もあり、タイトルは1957年のフランスカップのみ。リーグでは1部に31年在籍しながら優勝はなく、最高は1955年の2位である。
 1994年に2部に陥落したが、フランス代表として活躍し、ボルドーの一員として来日経験もあるアラン・ジレースが1995年に監督就任、2季目には2部で2位になり1部復帰を果たした。復帰初年の今シーズンは15位となり、特にシーズン終盤にはアウエーでモナコを下すなど、名門の維持を見せて1部残留となり、市民はワールドカップ後もフランスのトッププレーを見ることができる。
 1984年のキリンカップではトゥールーズはA組に属し、開幕戦で日本を1-0で下し、続く中国戦は2-3で落とす。日本が中国を1-0で下し、3チームとも1勝1敗となったが、トゥールーズは得失点差、総得点数、直接対決の結果で中国に次いでA組2位となり、準決勝に駒を進めた。三ツ沢での準決勝は優勝したインテルナショナル(ブラジル)に1-4と大敗した。
 1986年のメキシコ・ワールドカップ準々決勝ブラジル戦のPK戦でファーストキッカーとなったヤニック・ストピラや、直後のロサンゼルス・オリンピックの主力となったギ・ラコンブなどの活躍は特筆すべきものだった。のちにスイス代表監督となるトゥールーズのダニエル・ジャンデュポー監督は、このサッカークリックでも活躍中の木村和司選手のプレーを高く評価していた。

■トゥールーズは、天皇陛下が初めて訪問されたパリ以外の都市

 フランス人で日本のサッカーを認識したのはこの時のトゥールーズの人々が最初であるかもしれない。そして、その10年後の1994年10月、トゥールーズの市民は再び日本を認識することになる。平成となって6年目、現在の天皇陛下がフランスを初訪問されている。
 天皇陛下のフランス御訪問は1971年秋の昭和天皇についで2回目のことである。この時の御訪欧はフランスとスペインが主であり、広島アジア大会の開会式から関西新空港、フランクフルト経由で10月3日にパリに到着され、パリでの公式行事のあと、スペインに向かう途中でこのトゥールーズに立ち寄られている。
 トゥールーズは科学技術の町として知られており、10月6日にアエロスパシアル社の工場を御視察、翌日は近郊のアルビのロートレック美術館を御訪問、また3日目の10月8日は午前中に国立宇宙研究所を御訪問され、午後はマドリッドへと移動されている。昭和天皇はパリ及びその近郊のみを訪問されただけであり、トゥールーズは日本の天皇陛下が初めて訪問されたパリ以外の都市である。

■天皇の御訪問、パッシ、ロートレック・・・そして日本代表

 さらに、トゥールーズ御滞在の2日目に訪問されたアルビは、フランス人として初めてJリーガーとなったジェラルド・パッシ(名古屋グランパス所属)の出身地でもあり、同選手は1985年から1990年までトゥールーズFCに在籍し、この時期にフランス代表に選出されている。
 フランスのクラブとして初めて日本を訪問したチームがあり、日本の天皇陛下が初めて訪問されたフランスの地方都市、トゥールーズ。日本がワールドカップ本大会の初戦を飾るのにこれに勝る都市はない。
 この地方を代表する芸術家のロートレックの作風は日本の版画の影響を大きく受けている。果たして初出場の日本イレブンが、時を越えてトゥールーズの人々に大きな影響を与えることができるであろうか。

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