第17回 フランス対イタリア、その長い対戦の歴史
■白のフランス、青のイタリア、準々決勝はフランス最初の難関
メインスタジアムのスタッド・ド・フランスに再び戻ってきた最初のチームは、やはりフランスだった。サンドニの新たなる聖堂に再び響くラ・マルセイエーズ。しかしジャック・シラク大統領の隣に座った組織委員長のミッシェル・プラティニは、やはりこの歌を歌わない。選手の中にも様々な理由で国歌を歌わない選手はいるが、それでも肩を組むという独特のスタイルで必勝を期す。
相手は前回準優勝、同じ青いユニフォームのイタリア。グループリーグ以来順調に4連勝しながらも、いまひとつ物足りない試合の続いていたフランスにとって今大会で初めての難関である。
フランス対イタリア。フランスの登録選手の実に半数の11人がイタリアでのプレーの経験がある。また両国の代表選手を抱えるチームは実に6チーム。欧州のラテン系同士の戦いで興味は尽きないが、いろいろと興味深い対戦である。
■第3回ワールドカップ・フランス大会からの歴史
まず、60年前の第3回ワールドカップ。開催国のフランスは、第1回のウルグアイ大会、第2回のイタリア大会に続いて開催国優勝を狙ったが、1回戦で宿敵ベルギーを倒した後、6月12日(奇しくも今大会のフランスの初戦と同じ日である)準々決勝でイタリアとコロンブで対戦した。58,456の大観衆は1920年のアントワープ・オリンピック以来のフランスの勝利を期待する。試合はまず7分にイタリアのルイジ・コラウッシが先制、しかしその1分後にはフランスもオスカー・アイスレのゴールで追いつく。しかし、後半に入り52分と72分にイタリアのシルビオ・ピオラの連続ゴールで1-3で破れ、開催国のチームとして初めて敗戦し、優勝を逃したのである。
その後、試合を重ねてもイタリアに勝つことができなかったフランスであるが、その中で特筆すべき試合は1978年のアルゼンチンワールドカップでの対戦である。12年ぶりの出場となるフランスは、開催国のアルゼンチン(優勝)、イタリア(4位)、ハンガリーという非常に厳しい第1組に入る。
6月2日の初戦でフランスとイタリアが激突し、事実上の予選突破決定戦となる。開始早々の1分にフランスはベルナール・ラコンブが先制するが、イタリアは29分に後のスペイン大会の得点王となるパオロ・ロッシ、後半に入ってアントニオーニと交代して出場したザカレリが54分にゴールをあげて逆転勝ち。フランスはアルゼンチンとも好ゲームをしながら惜敗、結局ハンガリーに勝っただけでグループリーグで敗退する。しかしながら、このフランス-イタリア戦は世界に衝撃を与えた。プラティニを代表とするフランスの若い中盤は無限の可能性を感じさせるとともに、イタリア伝統のカテナチオと若きゴールゲッターのロッシの存在は80年代の両国の活躍の序曲であった。
■大会直前にフランスに敗れたチームが優勝する?
そして長い間イタリアに勝てなかったフランスにようやく勝利の女神がほほえむ。
1982年2月23日。6月のスペイン・ワールドカップに向けた親善試合がパルク・デ・プランスで行われる。1972年に新装したパルクでの両国の初対決である。この試合フランスは2-0で見事な完勝。実に62年ぶりの勝利を飾る。この試合19才14日のダニエル・ブラボーが得点をあげ、これは歴代のフランス代表の最年少得点の記録である。そして、敗れたイタリアも本大会では見事に優勝、以後1986年のアルゼンチン、1990年の西ドイツと「大会直前にフランスに負けたチームが本大会では優勝する」と言い伝えられるようになる。
1986年のメキシコ・ワールドカップでもフランスが勝つ。決勝トーナメント1回戦で対戦した両国だったが、ミッシェル・プラティニなどのゴールでフランスが2-0で快勝した。そして、それから8年後の1994年2月16日、前年のアメリカ・ワールドカップの予選で敗退し、エメ・ジャッケ現監督によって生まれ変わったフランスの第1戦は対イタリア戦であった。このナポリで行われた試合では、ユーリ・ジョルカエフがゴールをあげ、アウエーの勝利は82年ぶりの快挙であった。残念ながら「大会直前にフランスに負けた」イタリアはアメリカ大会では優勝できなかったが。
■そしてスタッド・ド・フランス、死闘の果てのPK戦へ・・・
振り返ってみるとイタリアが17勝、フランスが6勝、引き分け7という対戦成績であるが、1978年のアルゼンチン・ワールドカップ以来フランスは負けていない。そして、両国は7月3日、いつも通りの青いジャージーのアズーリ(イタリア)と白いジャージーのレ・ブルー(フランス)でスッタッド・ド・フランスのフィールドに並び立った。
物心ついた頃からフランスがイタリアに負けたシーンを見ることなく育ってきたフランスの選手には、他の強国と対戦したときと異なってコンプレックスが感じられない。両チームとも疲労のためか動きが悪いが、守備は安定しており、攻撃陣が不振の両チームは得点を上げることができない。
そして120分間両チーム無得点。スコアレスドローのPK戦は大会史上5回目である。このときフランス人の頭をよぎったのは1982年大会の西ドイツ戦か1986年大会のブラジル戦か。結局、4-3でフランスが勝利を収めたが、試合内容からいって順当な勝利であろう。そして準決勝もスタッド・ド・フランス。今週末にラ・マルセイエーズの歌声が響くのはスタッド・ド・フランス(決勝戦)か、それともパルク・デ・プランス(3位決定戦)だろうか。