第51回 バスケットボール欧州選手権
■古い歴史を持つバスケットの欧州選手権
ワールドカップから1年。昨年はレギュラーシーズンの合間にワールドカップが行われ、フランス中が熱狂した。今年はこの時期にフランスでバスケットの欧州選手権が開催され、昨年のワールドカップに勝るとも劣らぬ感動をフランス国中に与えた。
ワールドカップとオリンピックのない奇数年に行われるこの大会は1935年に第1回の大会がスイスのジュネーブで行われ、今年で実に31回目となる。ワールドカップは1930年、今回日本が招待された南米選手権は1916年にスタートしたが、欧州ではUEFAの創立が1954年、サッカーの欧州選手権、欧州三大カップがいずれも第二次世界大戦後の冷戦化に始まったことを考えると、欧州においていかにこの大会の歴史が古いかがわかる。
第1回大会の優勝はラトビア、第2回大会(1937、ラトビア、リーガ)と第3回大会(1939、リトアニア、カウナス)はリトアニアが連覇、とバルト三国が優勝している。戦火に巻き込まれ大会は中断されることとなるが、欧州に平和が訪れた1946年には再びジュネーブで行われ、チェコスロバキアが優勝、1947年は地元開催のエジプトが優勝したが、以後西側諸国の優勝は1983年のイタリアまで待たなくてはならない。
■冷戦後に変化が訪れた欧州のバスケット勢力図
さて、フランスとこの大会の関わりを見てみよう。実はフランスはイタリアと並んで最多出場、過去30回の大会のうち、28回の出場を果たしている。また、今までに209試合を行っており、これはイタリアをおさえて単独トップである。1937年大会では3位となり、カイロで行われた1949年大会では準優勝、続く1951年大会は初の地元開催(パリ)で3位、1953年大会(モスクワ)でも3位に入った。しかし、1959年大会(イスタンブール)で3位に入ったのを最後にメダルから遠ざかっている。その結果、出場はするが上位入賞はできないという時代が長らく続き、過去の戦績は103勝106敗と負け越しているのである。
欧州のバスケット界は完全に東高西低、東欧諸国が冷戦後も支配している。特にソ連は1957年大会から1971年大会までの8連覇を含み、14回の優勝を記録している。またユーゴスラビアも解体前に5回優勝、新ユーゴスラビアとなってからも1995年大会(アテネ)、1997年大会(バルセロナ)と連覇している。
しかし、1990年代に入り、グローバル化の進展、東欧諸国の変化はバスケットの世界に大きな変化をもたらした。まず、かなりの選手がアメリカのNBAで活躍し、ポストシーズンに欧州に戻ってこの大会を戦うようになった。シカゴ・ブルズのトニー・クーコック(クロアチア)を初めとするNBA勢はレベルの違いを見せつけた。また、欧州においてはサッカーのビッグクラブがバスケットチームもあわせて持つようになり、バスケットにも巨額の資金が動くようになった。
■フランスの若者に浸透するバスケット
1997年大会は10位、1995年大会は8位と下位低迷の続くフランスであるが、地元開催で昨年のサッカーのワールドカップの再現をファンの期待は高まった。特に若年層を中心に米国文化であるバスケットに対するあこがれは強い。ワインとチーズは昔の話、若者は右手にコカコーラ、左手にマクドナルドを持ちバスケットシューズを履いてシャンゼリゼを闊歩する。当然彼らのアイドルはジネディーヌ・ジダンやディディエ・デシャンではなくマイケル・ジョーダンである。
昨年のワールドカップ優勝がサッカーへの回帰をうながしたことは事実であるが、若者のバスケットブームはとまらない。大都市及びその郊外の狭いスペースではバスケットのゴールが置かれ、多くの若者が楽しんでいる。競技人口も40万人以上(サッカーは200万人)であり、西欧諸国では最多である。GATTのウルグアイラウンドでフランスが米国と文化摩擦を起こしたのとは裏腹に若者はスターウォーズに列をなし、バスケットに興じる。
大会は6月21日から7月3日までフランス全土の7会場で開催された。16か国が参加し、4チームずつ4グループに分かれ、トゥールーズ、クレルモンフェラン、アンティーブ、ディジョンで一次リーグを行い、二次リーグをポーとルマンで行い、ベスト8による決勝トーナメントは本連載の第31回で紹介したパリのベルシーで行われた。
フランスは一次リーグ(トゥールーズ)ではマケドニア、イスラエルに連勝し、二連覇中のユーゴスラビアに敗れたものの二次リーグ(ポー)進出。二次リーグでもスペイン、ロシア、スロベニアに三連勝し、決勝トーナメントに進出した。
■オリンピックの出場権を獲得したフランス、7月末には訪日も
この大会が盛り上がりを見せたのには理由がある。それはオリンピックの前年ということでシドニー行きのチケットがかかっていたからである。オリンピックの出場権が、世界選手権の優勝国ですでに出場権のあるユーゴスラビア以外の上位5チームに与えられるのである。しかもフランスは6月初旬に男子ハンドボールがカイロで行われた世界選手権で地元エジプトを破り、出場権を獲得、また、女子バスケットもポーランドで行われた女子の欧州選手権で準優勝という史上最高の成績を収め、シドニー行きのチケットを初めて獲得した。特に女子バスケットは1964年の東京オリンピックで女子バレーボールが採用されて以来初めて団体球技でフランスの女子チームがオリンピックに出場するという快挙であった。
シドニー行きをかけた試合は7月1日の準々決勝、相手はトルコである。満員のベルシーの声援を受け、白いユニフォームを着た「ブルー」は大会前の親善試合でも勝っているトルコに大苦戦、ほとんどリードすることなく時計の針は残り1分40秒で1点のビハインド。ここでリーグの最優秀選手に輝いたばかりのローラン・フォワレの3ポイントシュートが決まる。試合は結局66-63でフランスが制し、1984年のロサンジェルス・オリンピック以来の出場を決めたのである。
フランスは準決勝でスペイン、3位決定戦でユーゴスラビアに敗れ、結局メダルには届かなかったが、4位は1991年のローマ大会以来の好成績。シドニーへの期待が高まる中でフランス代表バスケットチームは7月末に訪日し、アジア予選を控えた日本代表と親善試合を行う予定である。