第52回 名門サンテチエンヌ、一部復帰

■ミッシェル・プラティニを擁した「緑の軍団」

 「青の時代」「赤の時代」で知られる巨匠パブロ・ピカソ。フランスで長く生活してきた彼の作品は国内いたる都市の美術館に所蔵されている。数多くの巨匠の作品の中に「静物、壷、コップ、オレンジ」という静物画がある。この作品はピカソの作品としては珍しくバックが緑である。そしてこの緑を背景とする静物画を所蔵しているのが今回紹介する「緑の町」サンテチエンヌの近代美術館である。
 サンテチエンヌはロワール県の県庁所在地であり、現在はローヌ・アルプ地方を代表する重要な工業都市であるが、その起源は16世紀に始まった炭田の採掘にさかのぼる。1516年にフランソワI世が王立火縄銃製造所を創設、1746年には王立武器工場が創設され、武器の町と呼ばれている。そして1827年にはフランスで最初の鉄道がサンテチエンヌとアンドレジューの間に開通した。以後発展を遂げ、その生産活動は多岐にわたっている。
 しかし、このサンテチエンヌの名を欧州中に轟かせたのはナポレオンが使用した武器ではなく、ナポレオンと異名をとったミッシェル・プラティニを擁する緑の軍団ASサンテチエンヌであろう。ナントはリーグ50年間の最優秀チームとして選ばれた(本連載の第14回を参照)が、次点はこのサンテチエンヌである。ちなみに以下はランス(Reims)、ボルドー、モナコと続く。

■戦後、フランス・サッカーの栄光を象徴した名門クラブ

 緑一色のジャージーの胸にはサンテチエンヌに本拠地を置くフランス有数のスーパーマーケットチェーンであるCASINOの赤いマークが必ず入っている(今年はCASINOの系列のGEANT)。サンテチエンヌにあったカジノの中の商店がフランスを代表するスーパーマーケットのチェーンとなり、地元のサッカーチームを支援し続けている。
 1920年に創立、一部昇格は第二次世界大戦前最後のシーズンとなる1938年。初のビッグタイトルは1956-57年のリーグ制覇。以後栄光を重ね、リーグでは最多の10回の優勝、カップはマルセイユの10回に次ぐ6回の優勝を記録している。また、欧州チャンピオンズリーグの前身の欧州チャンピオンズカップには10回出場41戦と、フランスのクラブとしては最多出場を果たし、1976年にはフランツ・ベッケンバウアー率いるバイエルン・ミュンヘンと決勝を争っている。ワールドカップ優勝監督のエメ・ジャッケもこの地方の出身であり、かつてはサンテチエンヌの名選手であった。
 しかしながら、栄光も1970年代までであり、最後のビッグタイトルは1980-81年のリーグ制覇。1980年代半ばには二部降格、その後一部に復帰したものの1995-96年のシーズンには19位となり、それ以来二部での戦いが続き、ワールドカップ開幕を直前にひかえた1997-98シーズンは、フランス-スコットランド戦が改装のこけら落としとなったジョフロワ・ギシャール・スタジアムに多くの熱心なファンを集めながらも、12勝15分15敗の17位。一部復帰どころか、二部からさらに下位のNationalリーグへの降格をかろうじて免れた。今回のワールドカップの開催地で新設のサンドニを除くと一部リーグ所属チームがないのはこのサンテチエンヌだけである。

■ローヌ・アルプ地方は、サッカーが盛んな地方

 ワールドカップの終了とともにこの町からサッカーの熱気が消えてしまうのではないかと危惧された方も多いのではないかと思うが、そのようなことは断じてない。なぜならばこのローヌ・アルプ地方が第二次大戦後からサッカーに力を入れてきた、フランスの中でもとりわけサッカーが盛んな地域だからである。社会階層や地方の偏りなく愛されているのがフランス・サッカーの特徴であるが、あえてサッカーの盛んな地方をあげるとすればこのローヌ・アルプ地方である。
 1938年に開催された第3回ワールドカップでは、この地方では試合が行われなかったが、今回はリヨンとサンテチエンヌで12試合が行われた。また、キャンプ地についても日本がエクスレバンを選んだ他にも、7つの国がこの地方を選択している。これは行政当局だけではなくフランスサッカー協会の元会長ジャン・フルネ・ファラール氏の力によるところも大きい。フランスで最も注目を集めるカードはボルドーvsマルセイユ戦ではない。このローヌ・アルプ地方のダービーマッチであるサンテチエンヌvsリヨン戦である。

■緑の風船とマフラーがシンボルの熱心なサポーター

 ワールドカップの熱気は1998-99シーズンに持ち越され、緑の軍団は連戦連勝。前年の不成績が嘘のように首位を独走。すばらしかったのは成績だけではない。急勾配の名物スタジアムは緑一色に染まり、圧巻は3月10日のアウエーのレッドスター戦であった。
 パリ近郊にある名門クラブはフランス屈指の人気チームを迎えるためにスタッド・ド・フランスを初めてリーグ戦として使用する。前売りだけで4万2千枚チケットが売れ、当日集まった観衆は4万5千人で、二部リーグの新記録(従来の記録はサンテチエンヌ自身が1985年にル・ピュイ戦で記録した42,584人)。同日にパルク・デ・プランスで行われたパリサンジェルマンvsナント戦の観衆4万を上回った。もちろん、スタジアム目当てのパリジャンも多かったが、多くのファンがステファノワ(サンテチエンヌ人)であった。緑の風船とマフラーを持ってフランス国内どこでもついていくサポーター集団を持つ数少ないクラブチームがこのサンテチエンヌである。
 その結果、見事に二部優勝を果たし、4シーズン振りの一部復帰となった。初戦はモナコに乗り込む。人気チームの開幕戦はテレビで中継され、他の試合に先駆けて一日早い7月30日に行われ2-2のドローに持ち込んだ。そしてワールドカップのアルゼンチンvsイングランド戦でお馴染みになった旧勾配のトラディショナルなジョフロワ・ギシャールがマフラーと風船で緑一色になったのは8月6日のナント戦。今年も熱戦の予感のするフランスリーグから目が離せない。

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