第75回 二つの三色旗

■フランス、オランダとともに決勝トーナメント進出

 欧州選手権もグループリーグの最終戦を迎えた。注目のグループDはフランスとオランダが連勝し、グループリーグの最終戦で対戦する。
 フランスは準備不足が懸念されたが、開幕のデンマーク戦ではチャンスを得点に結びつけ、終わってみれば3-0の快勝。優勝したワールドカップの初戦の南アフリカ戦と同じスコアとなった。先制点こそDFのローラン・ブランだったが、2点目はティエリー・アンリ、ロスタイムの決勝点はシルバン・ビルトールと、前回大会以来の課題であったFWの得点力不足が解消されつつあることを示してくれた。そして第2戦はオランダをあと一歩まで追いつめたが敗れ、後のないチェコ。息詰まる展開となったが、ユーリ・ジョルカエフの決勝点で2-1と難関を突破し、試合を終えたばかりのブルーは国境の向こうのオランダ-デンマーク戦に注目した。
 優勝候補ナンバーワンと前評判の高いオランダも課題は大会前の親善試合での成績の悪さが懸念材料であった。2000年になって2月23日のドイツとの試合(ホーム)は2-1で勝ったものの、3月29日のベルギー戦(アウェー)は2-2の引き分け、4月26日のスコットランド戦(ホーム)はスコアレスドロー。タレント集団も昨年来の「負けないが、勝ちも少ない」というフラストレーションに悩んでいた。
 そんな悩みを払拭したのが5月末からの3つの親善試合だった。5月27日はアムステルダムのアレナでルーマニアを2-1、31日には合宿中のスイスでセルベット・ジュネーブを4-0と一蹴。試合中にフォーメーションを4-4-2から4-3-3に変更するというまさにテストマッチだった。そして地中海の向こうでフランスが日本相手に2-2という苦戦を強いられた6月4日には、ローザンヌで大会前最後の試合を行った。相手は3か月前にフランスが辛勝したポーランドだったが、パトリック・クライフェルトの2得点などで3-1と楽勝した。
 こうして大会直前になってさらに評価を高めたオランダは、オレンジ色に染まったアムステルダムのアレナでEURO2000初戦のチェコ戦に臨んだ。決定的なチャンスはチェコの方が多かったが、決定的な判定は試合終了間際の89分。オランダは1-0でチェコを下し、第2戦のデンマーク戦はフランスと似たような試合展開となり、結局得点を重ねスコアもフランスと同じ3-0。開幕してわずか7日めに決勝トーナメント進出の2チームが決定してしまったのである。

■ファン待望の一戦

 さて、フランス-オランダ戦であるが、ファン待望の一戦であり、決勝戦も同じカードを期待するファンも少なくはない。ヨハン・クライフ以来の「美しく攻める」伝統のオランダと、「負けないサッカー」からフランス伝統の「華麗な攻撃力」を取り戻しつつあるフランスの対戦は、決勝トーナメント進出確定済みという状況で、その持ち味を十分に発揮してくれるのではないかと期待は膨らむばかりである。
 オランダの国旗の色はフランスと同じ赤白青の三色だが、チームカラーはオレンジである。国旗の色をユニフォームに使用する例が多いが、オレンジはオレンジ公ウィリアムズを由来としている。一方、フランスの三色旗の由来は様々であるが、その中に1789年のフランス革命によって共和制を導入した際に、1588年に世界初の共和国となったオランダに敬意を表し、オランダ国旗を90度回転して国旗にしたという説もある。
 両チームが華麗で美しい攻撃をモットーとしている共通点のルーツも、このあたりにあるのかもしれない。

■オレンジ軍団とフランスの過去の対戦

 オレンジ軍団とフランスの過去の対戦は19試合、8勝3分8敗と互角の成績であるが、不思議なことに欧州選手権、ワールドカップの本大会での対戦は前回の欧州選手権イングランド大会の準々決勝、リバプールのアンフィールドで対戦しただけである(試合は0-0で決着が付かず、PKでフランスが準決勝に進出した)。
 ワールドカップでは1982年のスペイン大会の予選で同じグループに所属し、1981年3月25日には今大会の決勝が行われるロッテルダムで対戦した。ミッシェル・プラティニ、ジャン・ティガナ、マリウス・トレゾールをけがで欠くフランスは、GKドミニク・ドロプシーの自殺点で0-1と敗れている。スペイン大会では準決勝の西ドイツとの死闘が思い出されるが、実はフランスは予選では大苦戦、ホームでアイルランド、ベルギーに勝ったがアウェーではオランダ、ベルギー、アイルランドに三連敗。ピレネー越えのチケットは予選最終戦の1981年11月18日のパルク・デ・プランスのオランダ戦にかけられた。プレッシャーの中、フランスは2-0でオランダを破り、感動的な予選突破を果たし、翌年のスペインでの大活躍につなげていくのである。
 過去の対戦成績は互角と書いたが、1981年の対戦は1963年以来18年ぶりの対戦で、オランダの黄金時代にあたるクライフ時代には両者は顔を合わせていない。また1982年から1992年にかけても対戦がなく、オランダが1988年の欧州選手権西ドイツ大会で優勝した第二期黄金時代にも対戦していない。もしもこれらの時代に対戦していれば過去の対戦成績は少しは変わっていたであろう。

■欧州の共同開催ならではの「駆け引き」

 さて、グループDの1位チームは準々決勝をロッテルダム、準決勝をアムステルダムで戦うことになる。一方2位チームは準々決勝をブルージュ、準決勝をブリュッセルで戦う。もしもフランスが1位になりオランダで今後試合をするとなればブーイングは必至である。ブルージュで幸先よく連勝したフランスは、母国の声援が期待できる。フランス語圏のベルギーにとどまるために1位をあえて回避するのではないか、とも言われている。今までの各種の大会でも対戦相手、日程、移動距離などを考えて様々な「駆け引き」があったが、このような駆け引きは欧州の「共同開催」ならではのことである。
 しかし、いずれにせよ7月2日の決勝の会場は、過去フランスが1勝3敗と分の悪いロッテルダムである。オレンジ色に染まったこのスタジアムで二つの三色旗が今世紀最後の雌雄を決するドリームゲームの予感がするのだが…。

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