伝説を築く「ブルー」の真価(7) ~パリのポルトガル人、涙の解放記念日~前編
フランスに根付くポルトガル人コミュニティの存在
4月25日のポルトガル戦、スタッド・ド・フランスは8万人の観衆で超満員となったが、その半数以上の4万5000人がポルトガル人であった。スタジアムの東側はポルトガル人、西側はフランス人が陣取り、ワールドカップ以来の異様な雰囲気に包まれた。ポルトガルの銀行がスポンサーとなり、昨年度の欧州最優秀選手となったフィーゴのお面を3万枚用意したが、数に不足が生じた。
27年前のこの日、ポルトガルではクーデターが起こり、40年以上の独裁政権に別れを告げて第二共和制に移行するきっかけとなり、解放記念日として国民の祝日になっている。だがこれほど多くのポルトガル人が集まったのは、祖国の祝日以外にもう一つ理由があった。ポルトガル人が国外で最も多く居住する地域が、このパリだからある。フランス国内には約100万人のポルトガル人が居住し、特にパリ地域には約60万人のポルトガル人が集中している。パリのアパートの管理人の多くはポルトガル人である。働き者のポルトガル人なしに、パリ生活の快適性は確保できないだろう。
パリの象徴の一つである凱旋門のあるエトワール広場は、パリに住むポルトガル人が集う場となっている。観光で凱旋門を訪問された方ならば、凱旋門周辺で交わされる言語の多様性が印象に残っているであろう。凱旋門周辺で一番よく耳にするのは、フランス語ではない。観光客の話す日本語や英語でもなく、早口で抑揚があり、フランス語の響きとはちょっと異なる言葉、すなわちポルトガル語なのである。
また凱旋門周辺には、ポルトガルの新聞や雑誌を専門に販売する店、いわば日本のキヨスクのような店が立ち並び、サッカーの記事が新聞や雑誌のトップを飾る。彼らが興奮気味に話しているならば、その話題はおそらくサッカーであろう。
このパリのポルトガル人コミュニティは、サッカーの世界でも大きな役割を果たしている。つまり、パリでポルトガルがらみの試合を行えばかなりの観客動員が見込まれ、また生活水準も本国より高いことから入場料も高く設定できる。
例えば、ポルトガル代表は過去10年間に2回もパリ地域で「ホームゲーム」を開催している。まずは1992年11月11日、第一次世界大戦戦勝記念日にあたるこの日、パリに隣接したサントゥーアンで、ポルトガルはブルガリアと親善試合を行っている。ブルガリアがパリ近郊で試合を行ったことは、1年後の劇的なワールドカップ出場への伏線となったのかもしれない。(続)