連覇を狙うフランス・サッカー 「8月のブルー、苦手デンマークに快勝」(2/4)
■対デンマーク屈辱の歴史
1992年欧州選手権・スウェーデン大会は忘れられない悪夢である。FIFAからの制裁により、国際試合の出場を停止させられたユーゴスラビアに代わって出場したデンマークは、優勝候補フランスにとってはくみしやすい相手と目されていた。フランスはグループリーグで開催国スウェーデン、強豪イングランドと引き分け、マルモで行われるグループリーグ最終戦のデンマーク戦に決勝トーナメント進出の望みを託すことになった。デンマークもイングランドとスコアレスドロー、スウェーデンに0-1の敗戦と、フランス同様勝ち星はなかった。ミッシェル・プラティニ監督は4-3-3の攻撃的布陣を敷き、センターフォワードにジャン・ピエール・パパン、両翼にエリック・カントナ、と前回の連載で紹介したタヒチ出身のパスカル・バイルアを配置する。しかし、先制点をヘンリック・ラルセンに許す。後半に入り61分にエースのパパンが同点ゴールを決めるが、78分にラルス・エルストラップに勝ち越し点を奪われる。プラティニはゲームメーカーのクリスチャン・ペレスに代えてFWのクリストフ・コカールを投入するがゴールは奪えず、結局2分1敗という結果で決勝トーナメント進出を逃し、プラティニは代表監督を辞任、主将のマニュエル・アモロスも代表82試合出場という新記録を打ち立てながら、これが最後のブルーのユニフォームでの試合となったのである。
そして、先述の「8月の親善試合」が始まる1年前にはシーズン最初の親善試合が9月に行われ、83年9月7日にフランスはコペンハーゲンを訪問してデンマークと対戦し ているが、1-3と敗れている。
さらに歴史をさかのぼると両国の最初の対戦は08年のロンドン・オリンピックである(この時代はオリンピックもFIFAの代表Aマッチと認定されていた)。フランスはオリンピックのサッカー競技に初めてエントリーし、2つのチームを派遣する(団体競技で一国から複数のチームが参加することは、種目によっては現在でも行われている)。まずフランスBが準々決勝でデンマークと対戦する。デンマークにとってはこれが最初の国際試合であり、オリンピックに向けて周辺各国と親善試合を繰り返してきたフランスが有利であるように思われたが、なんと9-0という一方的なスコアでデンマークが歴史的勝利をあげたのである。そして3日後には準々決勝を免除されたフランスAが雪辱を期す。しかしながら、この試合はさらに大差の1-17というスコアでデンマークの前に屈したのである。17得点、16点差というのは公式大会の本大会での記録である。またこの敗北はフランス代表が国外で喫した最大の敗北としていまだに破られていない記録でもある。準決勝で敗れたフランスは3位決定戦でボヘミアと戦う予定であったが、準決勝の大敗と負傷者が相次いだことから3位決定戦を棄権したのである。
このようにフランスはデンマークとの対戦では最近までいい思い出がなく、直近の連 勝以外で勝ったのは73年11月のパリでの親善試合で3-0と勝ったことと、84年欧州選手権・フランス大会の初戦をパリで1-0と飾っただけであり、通算で4勝5敗1分と負け越しているのである。(続く)