アフリカ唯一のW杯初出場国――セネガル代表 未知なる「ライオンズ」の正体とは(前編)
「ライオンズ」大躍進のきっかけとなったアフリカ選手権
来年のワールドカップに向け、アフリカ地区では他大陸に先駆けて5代表(カメルーン、南アフリカ、チュニジア、セネガル、ナイジェリア)が本大会出場を決めた。その中で唯一ワールドカップ本大会に初出場となったセネガルを日本の皆さんに紹介しよう。
フランスから1960年に独立したセネガルは、アフリカ最西部、アラブ・アフリカのモーリタニアとブラック・アフリカのギニアの間に位置しており、異文化の交わる国である。セネガルの首都はダカール。フランス人にとって年明け最初のスポーツイベントであるパリ・ダカールラリーのゴールである。(ちなみにパリ・ダカールラリーのコースは毎年変更され、ゴールがダカールでない年も過去にはあった)篠塚健次郎をはじめとする日本人ドライバーや日本の自動車メーカーの活躍が目立ち、日本の皆さんにはセネガルという国の名前よりもダカールという首都の名前の方がなじみがあるであろう。
まず、「ライオンズ」というニックネームのあるセネガル代表のアフリカ選手権における歴史を振り返ってみよう。セネガル代表は1965年にアフリカ選手権に初出場し、4位という成績を残している。実はこれがセネガルの最高の成績であり、68年には本大会初戦で敗退、70年代から80年代にかけては予選敗退が続き、本大会に出場したのはベスト8に進出した86年大会だけであった。90年代に入ると成績は向上し、90年は4位、92年、94年と連続してベスト8に進出した。しかしながら96年、98年と再び連続して予選敗退する。
大陸別選手権で初めての共同開催(ナイジェリア、ガーナ)となった2000年大会では6年ぶりに本大会に出場し、ナイジェリアで行われたグループCでは初戦でブルキナファソを3-1と下し、第2戦で古豪エジプトに0-1と敗れたものの、最終戦のザンビア戦では終始先手を取り、2-2の引き分け。結局グループ2位で決勝トーナメント進出を果たした。
準々決勝にあたる決勝トーナメント1回戦の相手は地元のナイジェリアであった。大会に入りそれまで多くても3万人の観衆の前でしか戦っていなかったライオンズを迎え撃つのは、スーパーイーグルスとそれを支える首都ラゴスの6万人の大観衆である。試合は6分にセネガルFWのカリド・ファディガが先制し、その後両チームともゴールを奪えず、セネガルの大金星か、と思われたが、大観衆の期待にこたえてティジャニ・ババンギダに代わって途中出場した17歳のジュリアス・アグハホワが84分に同点ゴール。延長に入り92分に同じくアグハホワが勝ち越しゴールを決める。(この大会はゴールデンゴール方式を採用していなかった)セネガルの反撃も実らず、ベスト8どまりであったが、セネガルの大躍進は今回のワールドカップ予選へ大きな弾みをつけることになった。(中編へ続く)