伝説を築く「ブルー」の真価(5) ~唯一の勝利、日本戦を振り返る~前編

期待を裏切られた日本戦

 前回の本連載ではロジェ・ルメール監督が「2002年への第一幕」と規定した3月下旬の5つの国際試合でフランスが1勝1分2敗と期待外れの成績しか残せなかったことを書いたが、早速日本の読者の方から「日本戦について書いてほしい」というリクエストがあったので、今回は日本戦について触れることにしよう。

 パリには珍しい豪雨の後でグラウンドの状態は非常に悪い。スタッド・ド・フランスでの球技開催が敬遠される理由としてその高い使用料に加えて、屋根の陰になった部分の芝生の状態が良くないこともあげられる。3月の末といえばまだ早春で、芝の生育が不十分であり、そこに豪雨となればピッチの状態はレベル以下のものとなる。世界でもトップクラスの芝生のグラウンドでしかプレーしていない日本にとっては予想もしなかったアクシデントであろう。

 さて、フランスにとってスタッド・ド・フランスでの国際試合は2月のドイツ、4月のポルトガルという人気チームの対戦のはざまに日本戦はあり、そのチケットセールスには苦労した。ドイツ戦、ポルトガル戦が発売とともに即完売となったのに日本戦はなかなか売れず、結局50フランのディスカウントチケットを発売するなどして、ようやく7万7888人の観衆を集めることができた。しかし、このチケットセールスについては在仏の日本企業の協力に感謝をしなくてはならない。日本企業は100枚単位でチケットを購入し、不振のチケットセールスを援助してくれた。日本では一時の欧州ブームが去り、真に投資にふさわしい地域だけが日本企業が進出してくるようになり、トヨタのバランシエンヌ、キヤノンのレンヌなど生産拠点、研究拠点をフランスに求めるようになった。
 一方、フランス企業もエール・リキッド、アクサ、ルノー、カルフールなどが日本に進出し、試合のあった翌週にはルノーのルイ・シュバイツァー会長、経済財務省のフランソワ・ユバルト貿易大臣が訪日している。
 このように親密化する日仏経済関係と、アジアカップを制した日本サッカーの実力向上によって今回の対戦となったのであるが、内容、スコアとも期待を裏切るものであった。

 まず、8分に日本の主将の松田直樹がロベール・ピレスにペナルティエリア内で反則、ジネディーヌ・ジダンが難なくPKを成功させ、先制。理解に苦しむのは日本の主将のプレーで、あの場面でなぜ簡単に反則を犯してしまうのか。フランスで同じポジションの主将のマルセル・デサイーや前任の主将のディディエ・デシャンでは考えられないプレーである。フランス人監督のフィリップ・トルシエは主将を固定していないようであるが、この競技のキャプテンマークの重みというものを日本人にも理解させてほしいものである。
 そして14分には日本GKの楢崎正剛のミスもあったが、右サイドからティエリー・アンリが追加点。ここで試合は完全に終わる。フランスはドイツ戦同様、相手に球を持たせ、引いてしまう。観衆もそこは心得たもので、ブーイングではなく、ウェーブで時間つぶし。まさにグラウンドとスタンドが一体となった時間つぶしで、前半が終了したのである。(続)

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