伝説を築く「ブルー」の真価(2) ~新世紀最初の試合で宿敵ドイツを撃破~
前回ご紹介したとおり、フランスのほかの団体競技の活躍は非常に目覚ましい。つまり、サッカーフランス代表チームにとって、ブラジルやイタリアだけでなく、ほかの「ブルー」(フランス代表チームの愛称)も大きなライバルなのだ。
新世紀になってハンドボール、ラグビー、バスケットの代表が既に始動。サッカーの新世紀初の代表試合はライン川を挟んだ宿敵ドイツだった。舞台はウェンブリーなき後サッカーの新たな聖地となったサンドニのスタッド・ド・フランス。輝かしい新世紀を迎える上でこれ以上の相手と舞台は簡単に準備できるものではない。
欧州選手権以降、フランス代表チームの各国との対戦成績は、1勝3分。イングランド(9月2日・ホーム)、カメルーン(10月4日・ホーム)、南アフリカ(10月7日・アウエー)と引き分けが続き、ようやく最後のトルコ戦(11月15日・アウエー)で4-0と快勝し、2冠(ワールドカップ、欧州選手権)の面目を保った。
ワールドカップまで残る期間は500日を切り、欧州のクラブサッカーのスケジュールが過密化する中、代表の試合は貴重な強化の機会である。ドイツは98年ワールドカップ、2000年欧州選手権と精彩を欠くものの、2006年のワールドカップ自国開催も決まり、再建途上にある。
フランス人にとってドイツは特別な感情を抱く国であり、満員のスタジアムには無数の三色旗が振られた。試合前に7万7929人の大合唱となった『ラ・マルセイエーズ』の起源はライン川でドイツと戦った戦士を鼓舞する歌である。三色旗とラ・マルセイエーズの期待に応えるのが「ブルー」の伝統である。
2月27日のGKはファビアン・バルテス、DFラインは右からバイエルン・ミュンヘン所属で代表2試合目のビリー・サニョル、フランク・ルブッフ、新主将マルセル・デサイー、バンサン・カンデラと大きく変わる。
MFはエマニュエル・プティ、パトリック・ビエイラが守備的、そして大黒柱ジネディーヌ・ジダンが定位置の10番、FWは右にシルバン・ビルトール、左にクリストフ・デュガリー、中央にご当地パリからニコラ・アネルカという布陣である。
試合はジダンの活躍が光り、27分にサニョルからのセンタリングを受けたジダンが巧みに球を操ってシュートを決め、1-0でフランスが勝利を収め、フランスにとって20世紀最大の屈辱である1940年のドイツによるパリ入城の再現を阻止したのである。
ボールの支配はドイツが勝っていたが決定的なチャンスはフランスの方が多く、80年代と比べて両国の構図は逆転した。
このように勝負強さ、決定力を獲得したことが90年代後半以降におけるフランス代表の強さの原動力となっていることは否定できない。
これで両国の対戦成績はフランスの9勝5分7敗となった。1982年のワールドカップ・スペイン大会での死闘の末のPK負けや、ドイツのワールドカップでの安定した好成績からドイツに分があるように思われるが、ほかの欧州列強には負け越しているフランスもドイツ(旧・西ドイツ)だけには相性が良く、特に90年以降は3戦3勝である。しかも90年と96年の勝利はそれぞれワールドカップ、欧州選手権を控えた時期の試合であり、いずれもフランスに敗れたドイツ(西ドイツ)が頂点に立つという結果になっている。(*これらの本大会ではフランスはドイツと対戦していない)
次の対戦相手である日本の代表監督を務めるフィリップ・トルシエはドイツ戦のスタジアムに姿を現し、地元テレビ局のインタビューで次のようにコメントした。
「フランスは非常に攻撃的であり、いささか驚いている。日本にとってこのスタジアムで試合ができることは名誉であり、日本の選手も自信をつけることになるであろう」
次回はこの日本戦を控えた現在の「ブルー」を取り上げたい。(続)
2000年 | 9月 | 1-1 | 対イングランド |
10月 | 1-1 | 対カメルーン | |
10月 | 0-0 | 対南アフリカ | |
11月 | 4-0 | 対トルコ | |
2001年 | 2月 | 1-0 | 対ドイツ |
1934年 | イタリア大会 | 1回戦敗退 |
1938年 | フランス大会 | ベスト8 |
1958年 | スウェーデン大会 | 3位 |
1982年 | スペイン大会 | 4位 |
1986年 | メキシコ大会 | 3位 |
1998年 | フランス大会 | 優勝 |